「それぞれの思う農業で豊かになれる北杜市は、農山村の新モデルになれるかもしれない」
有機JAS栽培で生活をつくるFARMAN 井上農場

北杜市の高根町で有機JAS栽培による農業を行っているFARMAN(ファーマン)。20~21歳ごろに移住して農業をはじめた井上能孝さんの農場です。

「移住して有機農業」というとストイックなイメージがありますが、実は井上さんにとって農業は楽しいことをする手段だといいます。「楽しいことをやる。しかも結果的にそれで稼ぐことにつながったら一番いい」という井上さんの働き方はどんなものなのでしょう?

■生活をまるごとつくる農家という生き方に興味を持った

——井上さんが農業をやりはじめたきっかけは何ですか?

いつも「好きなことを仕事にしたい」と考えているのですが、それも原点はできれば働きたくないという気持ちからです(笑)。高校生の時に「働かないで生活するためにはどうすればいいのだろう?」と考えた結果、「好きなことを仕事にすれば、働くという意識でやらなくてすむ」という結論に至りました。

——その好きなことが農業だった?

はい。ぼんやりとですが農家が思い浮かびました。

FARMANの井上能孝さん。

——変な言い方ですが、今って農業が改めて注目されるようになっていますけど、井上さんの高校時代って90年代ですよね。そのころってまだ「農業ってダサい」って風潮が強くありませんでしたか?

そうかもしれませんね。

——そのとき何がきっかけで農業に興味を持ったのでしょう。

農業に出会ったのは16歳のときです。夏休みの1か月だけオレゴン州へホームステイに行ったんですが、そのときのホストファミリーの兄弟が大きな農場を経営していたんですね。農業を初めて仕事として見たのがそのときでした。「農業っていいな」と感じた事が頭の片隅に残っていて、将来の仕事を意識した時に思い浮かんだんです。それで農業についてのアレコレを調べはじめて、有機農業と出会いました。

——有機農業のどういうところにおもしろさを感じたのですか?

有機というと安心・安全や環境に優しいという話がよく出てきて、もちろんそういった事も大事なんですが、僕が一番に興味を持ったのはそこではありませんでした。僕は埼玉県の普通科高校卒なんですが、昼は普通科の高校に通い、一時ですが夜は農業を学ぶために代々木で開催されていた就農準備校に通っていました。そこで金子美登さんという有機農業界では著名な方の講習を聞く機会があり、その内容がとてもおもしろかったんです。
例えば、バイオガスを家畜の糞尿から発生させて生活に活かしていたり、お米、野菜、果物、畜産など食に関わる事のほとんどをご自身でつくっていたり……。そんなふうに、人の生活には欠かせない衣食住に関わる事を自分の手でつくりあげていく有機農業に魅力を感じたんですね。高校を卒業後はそのままの流れで農業という道を選びました。

——じゃあ、卒業してそのまま農業に?

はい。有機農家の方のもとで研修を受けました。
影響を受けた金子さんの農場へも行きましたが、毎日通うには遠かったので、金子さんからご紹介いただいた田中義和さんという方のもとで有機農業の実践や現場について学ばせてもらいました。田中さんのところは実家から近かったんです。
そして、研修期間中に少しだけお金を貯めて、20~21歳くらいのときに北杜市に就農移住しました。

——北杜市を選んだのはなぜだったのですか?

とにかく自然環境が素晴らしかったことが大きな理由です。水と空気、冷涼な環境という要素があり、さらに八ヶ岳や南アルプスなどの山々に囲まれた美しい景観もある。そこに惚れ込みました。

やりたかった「農家」はやりたいことではなかった

——仕事というより生活の一部として農業で暮らしていくという感じだったわけですね。

そうですね。最初は「農業」をやりたいのではなく、「農家」になりたいという気持ちでした。僕が思う「農業」は生業としてお金を稼ぐもので、「農家」は生活に根差した農というイメージなんです。だけど、自分の考える「農家」というものを実際にやってみて何年か経ってみると、「僕はこれでは生活していけない」と気付きました。
「自分がやりたかった事は農家だったけど続ける事は難しい……」と、ある種挫折のような、悲しい気持ちになりました。

——何が合ってなかったのでしょう?

食べる物はつくれても、それ以外で生活に必要なお金を生み出すことが難しかったんです。理想だけでは生きていけないことを痛感しました。それと、いろんな種類の野菜をつくる事は楽しいんですが、全ての野菜に向き合えない自分の不器用さにも気付きました。

——「農業」になったことでどう変わりましたか?

有機農業という理念はそのままに、つくるものの種類を限定しました。つまり、いろいろなものを少しずつつくるのではなく、数を絞って量をたくさんつくるようにしたんです。それも、じゃがいもやタマネギ、ニンニクといった根菜類を中心にしました。

農場で採れた野菜の一例。根菜を中心にいろんな季節の野菜もつくっています。

——根菜ですか。それはなぜですか?

一番は僕自身が好きだったということですね(笑)。それと、北杜市内の有機野菜の生産者で根菜類をたくさんつくる生産者さんが少なかったことも理由のひとつです。

——経営として農業を考えるようになったのですか?

ありがたいことに自然と経営を意識するようになりました。数人のアルバイトさんと作業をするうちに「農業も好きだけど、色々な人と共通の目標に向かって仕事することも楽しい」と気付くことができました。それで、人といっしょに仕事ができる会社という小さな仕組みをつくることにしたんです。それもいっしょに働くだけじゃなく、家族に近い付き合いができればいいな、と。

——それでFARMANという会社ができた。

はい。「法人化してみんなで食べていくためにはどういう農業をしたらいいんだろう?」と、今も考えています。農業をはじめたときに思い描いたこととは違いますが、すごく楽しいです。

毎日が仕事で、毎日が遊び

——やりたいことをやっていたのに、本当にやりたいことが別のことだったというのは面白いですね。

はい。やってみて出てきた結果から先が見えてきたと感じています。
それと、僕の場合には品目を限定したこと、そこで根菜を選んだこともよかったと思っています。一斉収穫した根菜をビニールハウスの作業場で出荷するんですが、この作業は天候の影響を軽減できるんですよね。これはありがたいことです。

——結果的に「農業」という形のなかで仕事を楽しくすることができたわけですね。

はい。毎日が仕事であり、同時に遊びでもあるという感覚でやれています(笑)。でも、そんなことができるくらい、農業にはいろんな実践方法や考え方があると思っています。北杜市は移住者が多い上に、行政が就農窓口の用意や職業訓練校など学びの場所があるんですよ。農業をはじめたい人にとっては、さまざまな条件が整っていると感じています。就農者の数だけ思いもありますし、スタイルもさまざまです。そんな幅広さのあるところが北杜市の農業や農家の魅力だと思っています。

例年は収穫体験などに使われているトマトのハウス。

——農業って自由ですね。

そう思います。僕は専業も兼業も有機も慣行栽培も、全体で見たら農業だと考えています。農業という仕事や行為に懐の深さと可能性を感じていますし、多くの方に触れてもらいたいです。都会から移住する方や農業を志す方がたくさんいますが、それぞれの思う農業や生活を実践し、豊かになれたらいいと思います。北杜市はそういう多様性のある地域でもあると思うんですね。そういう意味で、「北杜市って全国の農山村の新しいモデルになるんじゃないか?」とも感じています。