2016年に北杜市明野町に設立された「ファームひばり」は、明野町の農業従事者3名が手を取り合ってスタートした農事組合法人だ。
八ヶ岳や南アルプスが眼前に望める見晴らしの良い畑で、枝豆・長ネギ・大根など高品質な農作物を生産し、主に農協や直売所に出荷している。
今年の1月からは、有機農業をするために北杜市に移住した野瀬建さんが、自分の畑もやりつつ、ファームひばりの慣行農法による生産を手伝うことで、農業への更なる理解や地域との結びつきを深めている。
「高齢化によるマンパワー不足」という課題を抱える法人と、「農地や地域の人との繋がりを得るむずかしさ」という壁に直面する新規就農者が、うまくマッチングしたことにより、お互いにとって良い方向に進み始めているという、ひとつの事例をご紹介します。
農作物づくりの環境に恵まれた明野町
ファームひばりと野瀬さんの出会い
標高約600mに位置する明野町は、日本一を誇る日照時間の長さや豊かな水、ふかふかとした質の良い土に恵まれ、農作物を育てるのに適した土地だ。
この恵まれた環境の中、ファームひばりは年々右肩上がりに農地面積を増やしており、現在は、枝豆約4町歩、大根約7反歩、長ネギ約2.5反歩分の農作物を生産している。
しかし、メンバーの高齢化により、徐々に農作業に体がついていかなくなってきているのも事実。今後どうやって農地を守っていこうかと考えていたタイミングで、若くてパワーのある野瀬さんが明野に現れ、非常に助かっているのだと、代表の清水一恵さんは言う。
清水さん:「市の職員が、農地を探していた野瀬くんをうちに連れてきたんです。いきなり農地を貸すのは心配なので、『まずは一緒にやってみよう』と声をかけました。僕らにとって若者の存在はとても貴重で、今年は彼の力を貸してもらえて本当に助かっています。僕らが時間をかけて揃えてきた機械、設備、畑、そして農業関係者との繋がりなど、利用できるものはどんどん利用してもらって、彼には自分のやりたいことを実現していってもらいたいと思っています。」
茨城県で有機農業を営む「久松農園」で3年間研修した後に、新規就農する場所を探して全国を巡っていた野瀬さんは、明野町を訪れた際に「自分のやりたいことを形にするならここだ」と感じ、昨年12月に家族と共に北杜市へ移住した。
野瀬さん:「初めて明野町に来たとき、この見晴らしの良い景色に圧倒されました。そして何より、明野の畑には灌水設備が整備されていたんです。有機野菜としての販売に必要な有機JAS認証では、他の畑や田んぼから流れた農薬が混ざる可能性のある水路の水を使うことはできません。近年の不安定な気候に対応するためにも、水が使えるというのは大事なポイントになると考えました。それに基盤整備が進んでいて、畑一枚あたりの面積が大きく、形も整っているため生産効率も高い。しっかり有機農業をやっていくならここだろうなと直感しました。」
研修を経て、農業に関する一通りの知識は持っていた野瀬さん。しかし、地域の人の信頼を得るには自分の畑を見てもらうより他なく、新規就農したばかりの状態では、見せられる畑がないというところにむずかしさを感じたそう。
野瀬さん:「人となりも知られていない状態で言葉だけで説明するのは、やっぱりむずかしいんだなと実感しました。ひばりさんの手伝いをしていると地域の人との繋がりができて、畑ごとの獣害の程度や水捌けなのどの癖、あそこの畑はもうすぐ空きそうなどの重要な情報も教えてもらえることもあります。自分では初期投資で買えないような機械も使わせてもらえる。また、家族のことや住む家をどうしていくのかなど、仕事以外の部分も気にかけてもらっていて、本当にありがたいです。これからどういう形になっていくかはわかりませんが、お互いのいいところをうまく利用しあって、明野町の農業を発展させていけたらと思います。」
有機農業と慣行農法
互いへの理解と消費者教育の必要性
ファームひばりは化学肥料や農薬を使用する「慣行農法」で作物を生産しているのに対し、野瀬さんは決して進んでいるとは言えない日本の「有機農業」を前進させることを志している。共に農作業を進める中で、それぞれの主張がぶつかることはないのだろうか。
野瀬さん:「有機と慣行ってあまり交わることがなくて、お互いのことをよく知らないからこそ対立構造になりやすいと思うんです。でも、僕はここで実際に慣行農法に触れて、作業体系、かかるコスト、それに対してどのくらい草や虫を防御できているのかなどの違いを自分の目で見て、それぞれの良さがあることに気付きました。清水さんからも、『野瀬くんの畑を見たら有機農業に対するイメージがちょっと変わった』と言ってもらえたことがあって、すごく嬉しかった。理解し合うことでようやく、どのお客さんにどうやって野菜を届けたいのかを考えるという次のステップにいけるのかなと思いました。」
清水さん:「僕たちも減農薬でやっていた時期もあって、けっこう痛い目にあってきているんです。出荷した野菜から虫が出て全品返品になったり、作物が思うように育たなかったり。でも野瀬くんは、無農薬でもうまくつくるんですよね。僕らもいろいろなことを彼から教わっています。市場(しじょう)が育っていない有機栽培で生計を立てていくのは、本当に大変なことですが、がんばっていってもらいたいです。」
野瀬さん:「今年がたまたま上手くいったのかもしれませんが(笑)、そう言ってもらえると嬉しいですね。有機農産物の市場を育てるためには、僕ら生産者が消費者に向けて正しい発信をしていくべきだと感じています。低コストでの生産が可能なおいしい慣行の野菜と、多少コストはかかるけれど地球にやさしい持続可能な農法で生産されたおいしい野菜、この二つは、どちらも世界に必要なものなわけで。それを理解してもらった上で、消費者自身のライフスタイルや心情に合う方を選択してもらえればいいなと思います。」
明野町の未来をつくっていくために
清水さんと野瀬さんは、普段から感じている農業の課題や、今後実現していきたいことについて、対等な立場で語り合う。
野瀬さん:「有機栽培をしている人って、“こうやりたい”っていう思いが強くて一匹狼になりがちだと思うんです。地域の人の声を聞かずに孤立していって、全体でみると一匹狼が乱立しているような状態になりやすい。そうすると、品質もバラバラで生産量も少ないから、取り扱う側からしても扱いにくくて、結局市場として成長していかないという側面があるのではないかと思っていて。僕は、地域の人の意見や知識を取り入れながら、その土地に合った有機農業の技術を確立して、生産者同士で共有することで、人を増やしてみんなで生産規模を広げていきたいんです。そうしたら自分たちの幅も広がるしし、若い人が集まってきたら地域としてもおもしろいなと思っていて。」
清水さん:「野瀬くんみたいな考えの人が3〜4人集まれば、けっこうい良い生産基地ができるのではないかと思います。明野町の農業の未来をよくするには、有機農業に限らず、ある程度みんなでまとまっていく必要があると思うんです。これだけのいい農地があるのだから、外の人の力を借りなくても、住民たちでの力で自分たちが目指す農業へと進んでいけるんじゃないかなって。」
野瀬さん:「明野はこんなに良い環境があるのに、地域の人があまりそれに気付いていないのがもったいないですよね。農地の借主も市外の人が増えているみたいですし。高齢化も進んでいるので、後継者問題もこれから更に深刻になっていくのだろうと思います。」
清水さん:「地域に若い人がいて、その子供がいて、と次の世代に続いていかなければ、いくら将来のことを語っても、何の現実味もないんですよね。ものごとを発展させていくには、若い人の力が絶対に必要です。野瀬くんみたいな若者が自由にやりたいことをやって食べていければ、それが一番いい。僕らにできるサポートは何でもするから、これからもよろしく頼むよ!」
野瀬さん:「こちらこそ、よろしくおねがいします!」
明野町の地域に根ざして農業を行ってきたファームひばりと、挑戦を始めたばかりの野瀬さんは、互いに学び合い、協力し合いながら、地域の未来について考える。
世代の違いや有機と慣行という枠を超えて力を合わていけば、北杜市の農業全体も、明るい未来に一歩ずつ近付いていくことができるのかもしれない。