米づくりに新たな風を吹かせ、生まれ育った環境を守る                 農業法人株式会社 こぴっと三井さん

北杜市長坂町に2011年に設立された『農業法人株式会社こぴっと』の代表を務める三井勲さんは、「米づくりの成功事例になって次世代に夢を与えたい」という熱い想いを胸に持つ若手の米農家だ。

 

20代前半で営業職から米農家に転職するという珍しい経歴を持つ三井さんは、他県からの新品種の持ち込み、県内でつくるのはむずかしいとされていた山田錦の栽培及び最高評価の獲得、県内の米農家で唯一の海外輸出など、新しいことに果敢に挑戦している。

 

さらに「水田環境鑑定士」という資格も取得し、田んぼの生態系を守って、未来につなぐことにも意識を向けている。

 

今回はそんな三井さんに、農業に対する思いや米農家の課題、未来への展望などさまざまなお話を伺った。

 

新しいことに挑戦し続ける「こぴっと」
農業でビジネスを成り立たせることはできる

 

こぴっとでは、さまざまなエリアに点在する総面積約25ヘクタールの田んぼを管理し、農林水産省で使用が許可されている農薬使用回数及び化学肥料の窒素成分量を5割以下に抑えた低農薬・低化学肥料の『特別栽培』という方法で、年間約100t(6品種)の米をつくっている。

「味にプラスして、“安心・安全”というところで選んでもらいたいと思って、特別栽培米をつくっています。6品種それぞれに特徴があるので、お客様のニーズにあったものを作ることを心がけていて、春先に欲しい品種の要望を聞いて、田植えの計画を立てるんです。ありがたいことに、田植えが終わる前には毎年予約でいっぱいになっていて、県内はもちろん関東首都圏から沖縄、そして台湾の百貨店・スーパー・お米屋さん・飲食店・料理研究家で使用して頂いています。」

 

農薬や除草剤などの使用料を抑える特別栽培は、雑草が多く生えたりと大変なことが多い。しかし、その分取り組んでいる人が少ないため、リピーターになってくれるお客さんも多いのだそう。

 

三井さんは、「こぴっとのお米を食べたい」と言ってもらえる米をつくることを目標に、栽培方法だけでなく品種選びにもさまざまな工夫をしてきた。

 

「『五百川』という品種は、うちが県外から種を持ってきて、何年も試験栽培して山梨県で承認をもらって、一般の方でもつくれるようにした品種なんです。五百川は一般的なお米よりも1ヶ月近く早く新米が獲れます。その年初めて食べた新米は一番美味しいと思うので、そこの一番乗りを目指しています。また、スーパームーンという品種は、粒が通常より1.5倍くらい大きなお米です。粒はしっかりしているけれど柔らかく、口にすると大粒な触感はインパクトがあります。一度食べると通常のお米に物足りなさを感じてしまうと言う方も多い人気商品です。どんなに美味しいお米をつくっていても、炊いて食べてもらわないと味は伝わらないので、このように時期や大きさなどで他と差別化しやすい品種に取り組んでいます。」

「山田錦という日本酒づくりに欠かせない“酒米の王様”と呼ばれているお米もつくっていて、昨年の等級検査で最高評価の『特上』を山梨県で初めて獲ることができたんです。山梨県は山田錦をつくる許可は降りているのですが、『栽培が難しくて上手につくれないし、等級が低ければ儲からないからやめろ』という人が多くて。だけどあえてチャレンジして、4年かけてコツを掴むことができました。酒蔵さんも『これでオール山梨産のもので最高級なお酒がつくれる』と言ってすごく喜んでくれて。チャレンジしていなければこの結果は得られなかったはずなので、これからもこのような姿勢を忘れずにやっていきたいなと思っています。」

 

新しいことに挑戦するのには、もちろんリスクも伴うはずだが、三井さんのこの農業に対する前向きな姿勢は、一体どのように醸成されたのだろうか。

「僕はもともと営業の仕事をしていたのですが、『自分がつくったものを自信を持って売る』というものづくりへの憧れが高まり、父の米づくりを手伝うことにしたんです。当時は、今みたいに新規就農で田舎にくることを推進しているような時代ではなかったので、20代前半で家で農業をやっているというと、“あいつは勤めもろくにできない奴”って見られているのかなって想像してしまうくらい、同世代で農業をやる人なんて誰もいなくて。農業っていうと“のんびりしてる”っていうイメージを持たれてしまうんですけど、実際は年間通して忙しく、何もないゼロの状態の土の上から価値あるモノを育てる農業に『ビジネス』としても可能性を感じたんです。だから会社として農業でビジネスを成り立たせるという一つのモデルを示したくて法人化したんです。」

 

三井さんは自身のことを「まぁ、変わり者なんですよね」と言って照れたように笑った。今では6人の従業員を雇い、地域からも頼られる会社へと成長しているが、農業を始めた当時はさまざまな迷いや葛藤があったのかもしれない。経営者として覚悟を持った三井さんは、きっとこれからも北杜の米づくりに新たな風を吹かせていくのだろう。

 

田んぼの状態は“安心・安全”の基準
生まれ育った土地の魅力を次の世代へ

三井さんは、水田環境鑑定士という資格を取得し、自分たちが管理する田んぼの生態系の状態を定期的に調べているのだそう。昆虫や水中にいる生物の多様性が判断基準となる協会の調査では、最高ランクの「特A」という評価を獲得したという。

 

「僕らのライバルは常に県外の有名産地なんです。毎年数億円規模の宣伝費を掛けてブランド戦略をしてくる、そこと明らかかな差別化を図る事は容易なことではないと痛感する中で注目したのが“自然環境”でした。田んぼの状態が、“安心・安全”を示す一つの指標になると思ったんです。北杜市は中山間地域にあるので、里山が田んぼの近くにあって、水中の生態系がしっかりと守られている。土手があるから昆虫たちも集まるし、カエルも卵を生みやすいんです。田んぼの周りを歩くだけで昆虫たちがぴょんぴょん飛び跳ねるんですけど、それは平場の産地ではなかなかないことなので、東京のお米屋さんは視察に来ると、『こんなに生きている田んぼは見たことがない』と感動してくれます。」

 

北杜市は中山間地域であり、新潟や北海道のような平場の産地やコンクリート壁の田んぼに比べ、米づくりの労力と生産コストが何倍もかかる。四方を5m以上ある傾斜40度の斜面に囲まれた田んぼなどはざらで、1枚の田んぼの大きさは有名産地に比べると5分の1から10分の1程度。面積が狭い上に、果てしなく続くような土手草刈りの作業が必要なことが、北杜市の米農家の課題だ。除草剤を撒いてしまえば手間は減るが、三井さんはそれをしようとはしない。

「僕は長坂に生まれ育って、子どもの頃から田んぼにいろいろな生き物がいるのを見てきたので、そこに単純に除草剤を撒いてしまおうとは思えないんですよね。今も沢蟹がいたり、絶滅危惧種のゲンゴロウがいたりするのを見ていると、それを大切にして僕らの子どもたちの世代に残してあげるべきなのではないかなと思うんです。だから、土手草というデメリットを最大の武器に変える発想で、工夫し環境の良さを発信し続けてきました。私が大切にしているのは、育てた人や環境・農法の情報を目に見える様にし、購入して頂いた時の高揚感にプラス・食べ時の味にプラス出来るストーリーでお客様の満足度を上げてリピーターになって頂く事。全国では知名度の低い山梨県産のお米ですが、ようやく消費者が生産環境までを評価してお米を選んでくれる様になり、価格にも反映出来るようになりました。後世の稲作農家が味も環境も価格も全国に誇れる様に、一度失うとなかなか取り戻すことのできないこの生態系を守っていきたいと思います。」

 

「オラが作るお米が一番旨い!!」これは誰しもがそうだと思うし、そうであるべきと思う。しかし、味の評価はお客様が決める事を忘れてはならない。オラがになると視野も狭くなる。だから私自身は「自社のお米が旨いから買ってくれ」とは言わない様にしています。

 

 

新規就農が少ない米づくり
田んぼを守っていくために必要なこと

北杜市では、三井さんのような若手の米農家は珍しい。

米づくりをするには、刈り取り、田植え、乾燥、籾摺り、選別、計量、袋詰めなどをする大きな機械を一式買い揃えないといけないため、高額な初期費用が必要となる。そこでつまずいてしまう人が多いことが、新規就農者が増えない大きな要因の一つだと考えらる。

 

「金額を見て尻込んでしまう人が多いのですが、僕は父親に『借金は自分への先行投資だから財産の一部だと思え』とずっと言われてきました。思い切ってやれば10年後がガラッと変わるから、やるなら早い方がいい。そこを攻めていける若い人たちが現れるといいなと思います。僕はある意味お米づくりは隙間産業だと思っていて、やめていく人が多いから何年か先には、点在している農地がある程度まとまっていくのではないかと思うんです。今投資をしておけば、徐々にそれが実っていくのがこれからのお米なんじゃないかなって。」

「最近は離農する人が増えるスピードが早まってきています。今のお米づくりの中心を担っているのは70歳前後の方々なので、あと5年後には北杜市はかなり様変わりしてしまうのではないでしょうか。お米の農業法人が新しく生まれてきていないというのは、受け口がないということなので、耕作放棄地が増えていってしまうのではと深刻に受け止めています。僕らが面積を増やすのにも限界があるので、兼業農家さんにできるだけ長く続けてもらえることを願っています。」

 

山梨では田んぼを所有している一般家庭も多く、別の仕事をしながら週末や空き時間に農作業をする『兼業農家』も多い。最近は田んぼを人に貸しているという家庭も多いが、三井さんはその場合でも、「田んぼはそのお宅の財産として守っていってもらいたい」という。

 

「地元の人にしかわからない水の引き方や分け方のルールもあるので、田んぼの持ち主の方たちが継承して、つくる方たちに伝えていってもらえたらなと思います。貸しているからもう関わらないというわけではなく、春の溜池の草刈りや水路の泥上げなどの地域の作業に参加してもらえると非常に助かりますね。人が減っていることで、今までみんなでやっていた作業の大きなウェイトが個人や法人に乗っかってきてしまっています。田んぼの借り手も減ってきている今、地域で農地を守る意識がこれから重要になっていくと考えています。また、地域のおじいちゃんおばあちゃんと話したり、土地の歴史を聞いたりするのは楽しいし勉強になります。水の湧く様な田んぼは昔は池があった所だったり、石の多い田んぼは昔は川があった所だったりと、知識を共有して頂けると田んぼ作りの作業に反映出来ます。協力し合って、みんなでこの風景を守っていけたらなと思います。」

 

 

「別の柱をつくって、さらにおもしろく価値ある会社に」

 

最後に、三井さんに今後の目標を伺った。

 

「こぴっとは、お米づくりの成功例になりたいと思っています。『あそこみたいになりたい』『お米農家に就職したい』と思ってもらえれば、若い世代にも夢を与えられるし、少しでもこの景観を守っていけるのかなと思っていて。僕らがやる意義は、すごく大きいと思います。」

 

三井さんは北杜市の米づくりを牽引していく姿勢を示しながらも、「別のビジネスの柱もつくっていきたい」という。

 

「僕はこぴっとっていう会社が、10年後に全然違うビジネスをしていてもいいと思うんですよね。農業をベースに、6次化してショップを開いてもいいし、服を売ったり、キャンプ場を運営したりしたっていいと思う。ようやくお米で人件費をカバーできるようになってきたので、ここから従業員の個々のスキルを活かせるような、おもしろいことをやっていきたいです。お米づくりだけだと時期によって忙しさに偏りがありますが、もう一個の柱をつくって年間を通して忙しい状態を保てれば、もっと人を雇うこともできます。子育て中のお母さんたちが働きやすい環境づくりをすることも目標なので、重労働ではない仕事もつくっていきたいです。色んな人が関われる会社になる事で、色んなスキルや夢を持った人が会社にとってのより良い刺激を与えてくれると思うんです。社会的な意味での“農地を守る”ということはもちろんですが、農業だけにこだわる理由はないかなって。そうやって地域に必要とされる、価値のある会社にしていきたいです。」

 

法人名の『こぴっと』は、山梨の方言で『しっかり』という意味。

こぴっとが今後どのような取り組みをしていくのかはまだ未知数だが、「しっかりとしたものをつくっていきたい」という三井さんの想いはきっと、これからの全ての取り組みに反映されていくのだろう。