八ヶ岳から南アルプスまで、ぐるっと一周山の景色に恵まれた梶原農場の畑では、旬の野菜が農薬の力を借りることなく、ぐんぐんと育っている。「食べて貰えばわかる」と代表の梶原雅巳さんが胸を張って提供する有機野菜は、野菜そのものが持つ甘さが感じられ、美味しい上に見た目もきれいだ。
梶原さんは、40年以上に渡り高根町で有機野菜づくりを続け、次世代を担う新規就農者の指導も行ってきた。これまで30名以上が梶原農場の研修を卒業し、有機農家として独立している。
今回は山梨の有機農業を牽引してきた梶原さんに、 “農業をする上で大事なこと” をうかがいました。
【40年を超える歴史と野菜づくりへのこだわり】
昭和23年に甲府市に生まれた梶原さんは、幼い頃から家庭菜園で土に触れ、将来は野菜農家になることを夢見ていた。しかし、通っていた中学校の担任に「これからは工業の時代だ」と説得され、工業高校の電子化に入学する。卒業後、弱電技術者として働きながらも「いつかは農家になりたい」という夢を諦められなかった梶原さんは、夜勤が可能なビル管理技術者に転職し、働きながら就農場所を探し始める。なかなか条件に合う土地が見つからず、一旦は岩手県で養豚を営む農事組合法人に就職。3年働いた後に山梨に戻り、農業振興公社に紹介された高根町の土地で、昭和55年から野菜づくりと養豚をスタートした。
「有機農家として開業してもまとまった資金を借りるのが難しかったので、当時は養豚と有機野菜の複合経営を目指していました。養豚は規模が半端だった為に赤字になってしまったことと、輸入品の餌に頼らざるを得なかったということもあり、10年ほど経ったところで有機野菜一本に絞ったんです。今は約15ヘクタールの畑を4人で管理して、年間約50種類の有機野菜をつくっています。」
梶原さんは、若い頃に有吉佐和子著の『複合汚染』やレイチェル・カーソン著の『沈黙の春』などの著作に影響を受け、三里塚闘争や生協運動の盛り上がる中で、可能な限り自然を歪めず、継続できる農業を目指し、40年以上有機農業に向き合い続けてきた。
「うちでは『有機栽培で付き合う』『旬で付き合う』『公開しつつ付き合う』という”付き合い方3か条”を掲げています。農業は自然を歪めるものという前提で、人が手を加えたことによる影響が最小限で済む方法を考えて、有機栽培を続けてきました。化学肥料・農薬は一切使用せず、微生物資材・土壌改良資材などを安易に使用しない、ビニール等の石油化学資材の使用は最小限に抑えるという3つの原則を守りながら、誰にでもできる農業を目指しています。」
「最近はスーパーに並んでいる野菜を見ても季節を感じることは少なくなりました。欲しい野菜がいつでも買えるのは便利ですが、野菜は旬の時期に食べるのが一番おいしく、栄養価も高いのです。そういったことを知ってもらう為にも、安心して食べてもらう為にも、こちらが情報を公開していくことが大切だと思っています。必要があればいつでもどうやって育った野菜なのかお答えしますし、畑の見学も可能です。」
このような考えのもと育成された梶原農場の野菜は、しっかりとしたボリュームがあり、野菜そのものが持つ味の濃さが感じられる。その美味しさを味わうことはもちろん、興味が沸いたら農場に足を運んでみて欲しい。気持ちの良い環境で丁寧に野菜がつくられている様子や、つくっている人の想いを知ることで、より野菜のおいしさを感じられるようになるに違いない。
【一番必要なものは “愛情” 】
梶原さんは「農業は自分でやるもの」という考えのもと、「教える」ではなく「共有する」という姿勢で研修生を受け入れ、長年の経験を通して培った育成技術を多くの人に伝えてきた。
「農業をやっていると、次々と課題が出てきます。例えば、台風がくるかもしれないというときには、夜中にも防風・防雨の対策をしなくてはなりません。台風がこなければその作業は無駄になるわけですが、どうなるかわからない状況で放っておくわけにはいかない。人に指図されてやるのではなく、自分で考えて動くというのが農業の基本なんです。」
「毎年多くの課題が出てくるけど、僕は途方に暮れたことはありません。『あーどうしようかな…』と思うことはあるけど、そんなことを言っている暇はない。そもそも自然は人の思い通りにいくものではないので、こちらが寄り添っていくのは当たり前。それを楽しめる人でないと続けていけないですし、なにより農業に対する愛情を持っていることが一番大切です。」
研修生たちは、体の使い方、機械や農具の使い方、季節ごとに違う働き方を、体験を通して体で覚えていくのと同時に、梶原さんの農業に向き合う姿勢も学び取っていくのだろう。
【研修は修行!?独立と安定供給を目指して】
「冗談かと思うほどに忙しい。今考えると、それは頭と体を上手く使えば不可能と思える仕事量をこなすことができるという自信を身につける過程であったと思う。」
これは、梶原農場で研修を終えた卒業生のコメントだ。(HP引用)
梶原農場の研修は、「研修というより修行だ」という声も聞かれるほど、想像を超える仕事量をこなすことが求められる。農家として独立してお金を稼いでいく為にも、多くの人においしい野菜を届ける為にも、 “スピード” は欠かせないのだと梶原さんは言う。
「野菜は1個100円の世界です。野菜農家として生活して行くには、量をこなす事が必須です。段取りの悪さや、仕事が遅いのを、安易に価格に転嫁してはいけません。食べ物としての野菜は、誰でも平等に手に入れられる事が必要だからです。また食べ物の安全性を言う時、農薬や化学肥料を使わない事が強調されますが、加えて『安定供給』もその要素の一つと考えるべきだと思っています。何時でも、食べ物を生産するという農業の責務を忘れてはならないと思います。そう考えながら、農業に取り組んできました。」
「多くの人に野菜を手にとってもらうには、見た目のきれいさも大切です。涼しいうちに収穫した方が日持ちするので、うちでは朝採りにこだわって、なるべくその日のうちに出荷するようにしています。虫食いの葉をしっかり取るのはもちろん、色々なお店を見てまわって、こういう風に袋詰めしたらきれいに見えるんだなと勉強することも大切です。スーパーに買い取ってもらっていると、どの野菜が売れ残ったか自分にはわかりませんが、これからは農家も売れ残りのリスクを負って、お客さんに選んでもらえる美味しくてきれいな野菜づくりをしていくべきだと思います。そういう意味から、新しい取り組みとして、『直売』と『スーパーでのインショップ』を始めました。」
有機野菜の『安定供給』を実現する為に、梶原さんは常に頭も身体も動かしている。
研修生だけでなく消費者も、その姿勢から学ぶべきことがたくさんあるのではないだろうか。
【北杜市の農業の未来について思うこと】
農業を志す人のサポートを続けてきた梶原さんは、北杜市フードバレー協議会の初代会長も務めていた。世代交代をした今、梶原さんはフードバレーにどのようなことを期待しているのだろう。
「小さい農家が一番困っているのは、流通なんです。配達の間は農作業ができないので、そこを一部でもフードバレーで担っていけたら理想的ですね。そのためには人員が必要なので、フードバレーにお金が入る仕組みをつくらないといけない。簡単なことではありませんが、力を合わせて何か形にすることができたらすごく意味のあることだと思います。」
さらに梶原さんは、北杜市全体の長期的なビジョンをつくっていく必要性を感じていることを教えてくれた。
「最近は企業の農業進出も進んでいます。それ自体はいいことだと思いますが、掘っても掘っても石が出ないような露地栽培に適した土地で、ハウス栽培をしなくてもいいと思うんです。現在のことだけでなく、未来の北杜の環境を守っていくことにも目を向けていく必要がある。それに、北杜の農家はみんな後継者問題も抱えているので、その対策を考えることも大切です。そのような北杜市全体の長期的な農業のビジョンを考えるところまで、フードバレーが関わっていけたらいいですね。」
梶原さんはこれからも、朝から晩まで大忙しで畑を駆け回りながら、多くの人においしい野菜を届けるための方法を考え続けていくのだろう。私たちも北杜市の農業の未来について、少し考えてみることが必要なのかもしれない。