高根町にあるChiharu farmの畑からは八ヶ岳と甲斐駒ヶ岳などの山々が一望できる。この環境に惚れ込み移住してきた田中千春さんが農薬・化学肥料を使わずにつくる野菜はどれも驚くほど高品質。「農業は奥が深くて楽しくてしかたがない」と語る田中さんにその魅力を伺いました。
好奇心の赴くままに進み農業の世界へ飛び込む
高根町の約1.4ヘクタールの畑で年間を通して15〜20品目の野菜を有機で栽培している田中千春さんは、子供の頃に手にした一冊のケーキのレシピ本をきっかけに「食」に興味を持った。一度は金融機関に就職したが食への興味は尽きることなく、金融機関を退職して専門学校に通いながらホテルでお菓子をつくるパティシエの仕事をしたり、ベランダで野菜を育てたりしていた。その後再び、証券会社という食とは離れた場で7年間働いたが、スーパーで野菜を手にしたときにふと、「農業の現場のことって全然知らないな」と感じ、そこから農業についての勉強をスタート。知るほどにのめりこんでいき、農家に憧れるようになった。
「昔から好奇心が旺盛で『知らない世界を見てみたい』という思いが人一倍強かったんです。次のステージに行きたい、社会に貢献したいというエネルギーが有り余っていたのだと思います。(笑)」

田中さんはまず、埼玉県の小川町で5日間の農業インターンシップに参加。そこで理想図として掲げていた『循環型農業』の仕組みに触れ、有機農業の世界に興味を持った。その後も様々な研修に参加したことや、東日本大震災などをきっかけに、「農業をやりたい」という思いが次第に本格化していった。
「東京はすごく便利で洗練されているけれど分業化が進んでいて、自分自身の動物としての生きる力、知恵はすごく乏しいなと感じていました。さらに東日本大震災で物流が止まってスーパーの棚から物がなくなったのを見たときに、非常に大きな危機感を持ちました。そんな風に色々なことが重なって、本格的に農業をやってみようかなと思うようになりました」

田中さんが農業を通して生きる力を付けていく舞台として選んだのは北杜市だった。
「初めて北杜市を訪れた際に、この大自然に魅了されてしまったんです。天気がいい日で空も八ヶ岳も最高にきれいで。それまでに旅行などで色々な地域に行きましたが、北杜に来たら『ここだな』と感じてしまって。まさに一目惚れでした」
移住を決意したのは良いものの、農業で食べていけるようになる方法など、当時は全く検討もつかない状態だった。
「具体的な計画もないし当然家族には反対されるしで、当時は本当に迷いました。でも友人から『ワクワクする方を選んだらいいんじゃない?』というアドバイスを受けて、すっと心が決まったんです。長坂町にある農業大学校で9ヶ月間の職業訓練コースに通い、本格的に農業の勉強を始めました。多品目有機農業をされている畑山農場さんで実習をさせていただき、栽培・経営・地域のこと・人脈づくりなどたくさんのことを学ばせていただきました」
農業大学校のプログラムを終えた後2〜3年は農業法人への就職という形で経験を積みたいと考えていたが、実際に就職先を探してみると有機農家の正社員募集はほとんどなかったという。兼業も検討したが本気で農業に没頭するには両立は難しいと悟り、「せっかく思い切って飛び込んできたのだから、とことんやってみよう」と覚悟を決め、営農を開始した。
興味が尽きない農業。研究を楽しむ日々
田中さんは北杜市で有機農業を始めて3年が経った現在でも、蒔いた種が一斉に芽を出してぐんぐんと成長していく様子や、ふと見上げるとそこにある美しい山々などの自然に日々感動し、エネルギーをもらっているという。
「畑にいると小さな喜びを感じることが多くて幸せです。畑という五感に訴えかけるものが非常に多い異世界を多くの方に経験してもらう場をつくっていけたらいいなと思います。都会で生まれ育つとなかなか農家になるなんて選択肢に入ってこないですよね。でもこういう暮らしがあるんだよってことを、もっと多くの人に伝えていきたいです」
田中さんは本当に楽しそうに農業への思いを語る。一般的に有機農業は大変だと思われているが、田中さんの発する言葉はそれを感じさせない。

「慣行農法でも万能な薬なんておそらく無くて、どんな栽培方法であろうと一番大事なのは植物の生体を良く知ることだと思います。植物の成長や栄養の吸収に大事なのは、とにかく土壌微生物なんですよね。1gの土の中に5億以上の微生物がいると言われていて、良い微生物にいっぱい活躍してもらえる土壌環境が理想です。農薬や化学肥料をを使ってしまうと生態系が変わってしまうので、私は有機栽培で野菜を育てています。一番こだわりが表れるのは肥料です。野菜にどういうご飯を食べさせるのかという部分ですね。有機質資材は肥効のスピードであるとか、その他の要素とあいまって発現の仕方が変わってくるので、作物の成長過程で必要なときに必要なものを無駄なく投じていくにはどうしたらいいのか、日々勉強しています。健康な野菜が育てば、病気にもなりにくくなるし栄養価も高くなります。今は、肉系、魚系、昆布系、植物系など、原材料の違いで食味がどう変わってくるかに注目しています」
研究熱心な田中さんは自分の野菜の栄養価を科学的に分析してみたいと考え、就農1年目で一般社団法人日本有機農業普及協会主催の栄養価コンテストに野菜を出品してみた。硝酸イオン、糖度、ビタミンC、抗酸化力、食味を計測するこのコンテストで、田中さんのつくったほうれん草と小松菜はなんと最優秀賞を受賞。ケールも数値的に良い結果が見られた。その後も研究のため生産条件を変えて出品し続けたところ、三年連続でほうれん草が最優秀賞を受賞したというから驚きだ。

「北杜市って本当に美味しい野菜ができるんだなって感動しました。日照時間が長くて寒暖差が大きいという天候要因もあるだろうし、畑を元々管理していた方がいい土壌をつくってくれていたこともあるかもしれないし、様々な要因があると思います。まだ偶然の域を出ていないので、一個ずつ思い当たることを掘り下げて、良いものを狙ってつくっていけるようにしていきたいです」
田中さんは人が美味しいものを食べているときに見せる幸せそうな表情を見るのが大好きなのだという。そんな彼女が北杜市の良質な環境の中で手間を惜しまず愛情を込めてつくる野菜が美味しいのには頷ける。
「一人ではない」という感覚

農業を楽しんでいるとは言え、約1.4ヘクタールの畑を女性一人で管理するのは簡単なことではない。栽培に加えて経営、物流、機械設備や雇用など、考えるべきこと、やるべきことは尽きない。しかし田中さんは「一人でやっているという感じがしない」と、北杜市で農業をしてみて感じたことを語ってくれた。
「先輩方や近所の皆さんが惜しみなく情報を提供してくださり、技術面も精神面もいつも気にかけてくださるので、あまり一人という感じがしないんです。周りの方々がいなかったら、機械の目利き、ビニールハウスの手当て、どんな資材があるのか、どんな販路があるのかなど、わからないことばかりで途方に暮れていたと思います。先輩方が必要としている物や人を繋げてくれたり、近所の方が『頑張ってるね』と様子を気にかけてくれたり、そういったサポートにすごく温かさを感じています。農家になるという決断はとても勇気のいることでしたが、素晴らしい環境の中で力の限りに全力投球できる日々が本当に幸せです」

この3年で田中さんには多くの仲間や応援者ができた。また、農業に取り組んだことで、一つのものを生み出し消費者に届けるまでの過程には多くのプロフェッショナルが介在することに気付き、それぞれの仕事に触れる度に感動してきたのだという。
「種苗メーカー、肥料メーカー、生産者、物流、仲卸、小売店、料理人、消費者…、作物が生まれるところから食べ手の口に入るまで、大きな1つの輪で繋がっているのをすごく実感しています。最終ゴールは『美味しいものをつくりたい、届けたい、食べたい』という共通したところにあって、それぞれが自分のポジションを全力でまっとうするオーケストラみたいな感じ。自分は生産ですが、他のポジションの方々のプロフェッショナルな思いや仕事に触れた時は本当にしびれます。一つの野菜に紐付く、様々な立場の方たちとの繋がりをもっともっと濃くしていきたいなと思っています。連携プレーがうまくまわったとき、すごくいい世界ができるなって思うんですよね」
田中さんが語る言葉には、前向きなエネルギーが満ちている。これからも彼女は美味しいもので人々を笑顔にするオーケストラの一員として、多くの出逢いや発見を繰り返しながら、他者と共鳴していくのだろう。
