北杜市を再びホップの産地にすることを目指す

小林ホップ農園 小林吉倫さん

長坂町を拠点にビールの原料となるホップを生産する小林ホップ農園は、減農薬で安心・安全なホップを栽培しながら新品種の開発にも力を入れており、2025年には醸造所も設立した。ホップ栽培発祥の地である北杜市でホップの継承と発展を目指す小林ホップ農園の取り組みをご紹介します。

日本一といわれる日射量や冷涼な気候に恵まれた北杜市はホップの栽培に適した環境であり、長坂町は日本で初めて大手ビールメーカーとのホップの契約栽培が始まった場所として知られている。国内品種第一号の「カイコガネ」発祥の地でもあり、戦前の最盛期には800〜900戸の農家がホップ栽培に従事していた。大手ビールメーカーとの契約終了後は数戸にまで衰退し、ホップの産地というイメージはすっかり弱まってしまったが、小林ホップ農園の小林吉倫さんは、2016年に家族と共に北杜市でホップ栽培を始めることを選んだ。

「埼玉に暮らしていた両親の北杜市への移住をきっかけに、家族で農業をしたいと考えるようになりました。大学院では主に細胞技術を使った家畜の改良の研究をしていたため、初めは豚の畜産をしようと考えていたのですが、周囲の住宅への臭気問題が解決できそうになかったために断念。他に何かやるなら、風土に合っていて市場価値の高いものをと考え、ホップに辿り着きました」

当時の小林さんは知人に「この辺りで唯一ホップ栽培を続けており、国内品種第一号のカイコガネを残すことに力を注いでいる農家が大泉町にいる」と聞き、後に師匠となる浅川定良さんに会いに行った。そこでビールの原料となるホップの毬花や毬花の中の黄色い粒状の樹脂であるルプリンの香りを体験し、フレッシュなオレンジのような香りに衝撃を受けて、「ホップを育ててみたい」と強く感じたのだそう。

小林さんがホップの栽培を本格的に始めた2016年頃は、2005年頃に始まったとされる第二次クラフトビールブームの熱が高まっている最中であり、当時約350社だったクラフトビール会社は、この9年間で約900社まで増大した。しかし、その一方で全国のホップ農家戸数は、当時の約半数まで減少しているという。

「ホップはコストと労力がかかる植物なんです。根を間引く株ごしらえの作業や高所での作業も重労働ですし、収穫の最適期間が4日ほどしかない上に摘んだ瞬間から劣化が始まるので、迅速な加工が必要となります。収穫や乾燥のための機械や作業場も必要ですし、収穫までには最低でも3〜4年はかかるため、その間どうやって生計を立てていくかということも考えなくてはなりません。90年代に入ってからは安価な海外産ホップが台頭してきたこともあり、初めは浅川さんにも『やめておいた方がいい』と何度も言われたのを覚えています」

先輩農家からの反対の声を受けても、小林さんはホップ栽培への興味を抑えることができなかった。会社員と兼業で資金を稼ぎ、夕方から畑でホップを育て、週末にはサンプル品を持って都内や関西などへ営業に飛び回るというハードな生活を3年ほど続け、少しずつやりたいことを形にしてきた。

現在、小林ホップ農園では、標高約650mの高根町から標高約1,000mの長坂町に点在する計2ヘクタールの畑で30〜35品種のホップを減農薬で栽培している。乾燥・ペレットへの加工から営業・販売までを自社で行い、数々のクラフトビール会社にホップを卸している。

「生ホップ、乾燥ホップ、ペレットをそれぞれのブルワリーの用途に合わせて提供しています。契約農家のホップは市場に出回らないため、マイクロブルワリーや一般の方が国産ホップを入手することは困難なのですが、私たちは独占契約などを行わず、さまざまなブルワリーにホップをお届けできるよう心掛けています。その方が北杜市産ホップの魅力を多くの方に伝えられると思うからです」

また、小林ホップ農園では、新品種の改良にも積極的に取り組んでいる。育てているホップの内、約4〜5割は品種改良の研究用ホップなのだそう。通常1品種つくるのに10年前後かかると言われているが、小林ホップ農園は6年目にマスカットのような香りのする品種、9年目にペパーミントのような香りのする品種の2品種の開発に成功している。

「日本の育種や品種改良は世界と比べて遅れがちで、国産のホップは特徴がないと言われることが多いんです。どうせやるなら積極的に使ってもらえるような新しい品種を自分で作ってみたいと就農当初から思っていました。たまたま早い段階で2品種を作れて運が良かったと思いますが、次の開発成功がいつになるかは全く予想ができません」

小林さんによると、品種改良には2種類の方法があるという。一つは山で野生の雄株を採取して畑の雌株と受粉させ、できた種の中から雄を抜選し、また雌株と受粉させるという工程を何代にも渡って繰り返していく方法。もう一つは、畑の中で突然変異で現れた特異的なものを株分けし、株分け後も同じ特徴が発現するのか試験してから新品種として登録する方法だ。どちらにしても根気が必要な上に、ビール造りに適したホップがいつどのようにできるかは誰にもわからない。

「収穫量が安定していたり病気に強かったりしても、ビールにした際の香りがいまいちだったり、香りの持続性がなかったりすると、それは新品種として登録はできません。手間はかかりますが、例えば桜や桃のような香りのホップができたら、ビールとすごく相性が良さそうだと思いませんか?それができた時のことを考えると、すごくワクワクするんですよね」

小林さんは学生時代から培ってきた研究家気質もあるのか、大変なはずの品種改良のこともイキイキとした表情で楽しそうに語る。そして、その研究に対する熱心な姿勢は、ビール造りにも向けられていく。

小林ホップ農園では今年6月に醸造所を設立し、醸造経験のあるスタッフも雇用してビール造りをスタートした。これまでは小菅村にあるFar Yeast Brewingに醸造を委託し、自社で収穫したカスケードという品種のみを使用した「北杜の華ホップス ペールエール」というビールを出していたが、今後はそれ以外のビールも自社で開発していく予定だ。醸造所を設立した目的は、自社ビールで売り上げを立てていくことももちろんだが、ホップの研究のためでもあるのだという。

「ホップを持って営業に行くと必ず、ビールにした際にどのような特徴が出るのか、どのタイミングで窯に投入するのがベストかなど、細かなことを聞かれるんです。海外産のものとの違いやテロワールと呼ばれる地域ごとの特徴もお伝えできないといけませんし、加工の違い一つで香りの特徴の出方や抽出効率が変わるので、そういったことも全て説明できなくてはいけません。だからうちで実際にビールにしてみて、ホップの特徴をよく理解した上でお客さまにご提供していけたらと思ったんです」

今でこそさまざまなブルワリーで小林ホップ農園のホップは使われているが、当初は営業にとても苦労したのだそう。国内産ホップを使いたいと思っているビール会社は多くても、海外産のものとの違いや適切な使い方がわからないとなかなか導入には踏み切れないのだという。民間でそこまでフォローするホップ農園は全国を見回しても他に例がないが、小林さんは積極的にその隙間を埋めようと試みる。

小林ホップ農園がここまでホップに全力を注ぐのは、小林さんの「北杜市を再びホップの産地として活性化したい」という熱い想いがあるから。

「北杜市がホップ栽培に適した地であることは、歴史が物語っています。この土地ならではの品種をつくってさまざまなブルワリーに提供すれば、北杜市産ホップの知名度は再び上がっていきます。そして需要が高まれば収益性も上がり、ここでホップ栽培をしてみよう思う新規就農者も増えていくでしょう。そうして再び北杜市をホップの一大産地にしていくことが、私の目標なんです」

北杜市のホップの歴史や小林ホップ農園の実績を考えると、小林さんの言うことは決して夢物語ではないと思えてくる。北杜市が再びホップの産地として有名になる日を目指して、今日も小林ホップ農園の畑ではホップのツルが爽やかな香りを漂わせながら青空に向かってグングンと伸び続ける。